2009年10月3日土曜日

オリンピックはリオ、BGMはドイツ製?

2016年夏季オリンピックの開催地がブラジルのリオ・デ・ジャネイロに決まった。
unknown_twitterさんのつぶやき「「サンバ・デ・ジャネイロ」・・・あの曲作ったのドイツ人だからな。」
触発されて軽く検索。
曲を知らないひとはアマゾンで試聴できます。
(このアルバムなら2曲目)




「ぱーらーららーらららーらら」そうか、ドイツ人か。
ドイツ語版WikipediaにBelliniの記事がありました。
(記事執筆時点では、まだ日本語はありません・・・フランス語とリトアニア語なら・・・。)
バンド命名の由来は、1958年サッカーワールドカップ優勝国ブラジルのキャプテン、ベリーニ選手からとったとあります。
バンドの公式サイトを探してみるものの、なかなか見つからず・・・。
所属レコード会社のTiger RecordsがMySpaceにもっているページが公式サイト扱いなのかな?そしてそこにSamba de Janeiroの動画も・・・。
Bellini - Samba De Janeiro

ドイツ語の勉強には役に立たないけど、ドイツ人の感性を紹介するにはいいネタかもね。

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2009年10月2日金曜日

ドイツ語イラスト辞典

オンラインの独独辞典を探していたら、Ponsがドイツ語イラスト辞典を公開していた。
リンク: Bildbörterbuch (Pons)
検索結果をブログに貼り付ける機能(Blog Extras)も搭載されているので、ちょっとしたネタ作りにもってこいかも。
検索結果例: gebundenes Buch (右はし切れた・・・)
gebundenes Buch - Bildwörterbuch

日本語訳は?
実は、この本の日本語追加版がすでに出版されています。
『THE NEW VISUAL DICTIONARY オールカラー6ヶ国語大図典 (大型本)』


発売されたときにすぐに入手したのですが(プレゼントしてもらいました)、重くて持って帰るのが大変で・・・。
今計ってみたら、4.5 kg超・・・4500グラムですよ!
キッチンスケールでは計れません。
クラウン独和辞典(第4版)』(861g)で 5冊以上 の重量です。
ノートパソコン2~3台分
オールカラーでいい紙使っているだけあります。
めくっているだけで楽しくなります。
外国語の勉強、というよりも、自分の知らない日本語がこんなにあるのか、という新鮮な驚きに満ちています。

日本語が必要なければ、オリジナルの最新版はこちら(サイズも普通の辞書並み)。




さて、肝心の日本語訳ですが、426ページの「製本」に日英独仏西伊の各語が列記されてますよ。

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2009年9月28日月曜日

鉄腕アトム「地上最大のロボット」

ドイツで真っ先に買ったマンガは、たしかこの作品だったと思う。
電子ブック版で購入できるが、その底本となっているのが手塚治虫漫画全集版。
冊子体はいまではおいている書店も少なく、ネット書店でも楽天ブックスではヒットしなかった。



電子書籍版は以下から購入できる。

電子書店パピレス Keyring PDF形式 (Win IE)
ebookjapan EBIJ形式 (Win, Mac, i-Phone)
電子貸本Renta! Flash (立ち読み可)

ところで、このエピソードのテレビ版がYouTubeで公開されている。
ただし、英語版だ。
期間限定なのか、自宅の環境では残り3日と表示された。

Astro Boy / The Greatest Robot In The World-Pt: 1
Astro Boy / The Greatest Robot In The World-Pt: 2

うーん、みるヒマないか?

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2009年9月9日水曜日

『審理』を白日に引き戻す活動

図書館による自主規制を危惧する記事を以前書いたわけですが、そもそも最高裁が公開を停止したことを抗議する活動が行われているようです。
出演者の一人が問題があったからといって作品そのものを「抹殺」する、というのはやはり乱暴で、最高裁をそのように追い詰めたのは、おもしろがって繰り返し映画の場面を引用したテレビと、それをみてやっぱりおもしろがっていた私たち視聴者、ということになるのでしょうか。
ちなみに、今回引用した記事中にある署名サイト「署名TV 」の「裁判員制度広報用映画『審理』再公開及び作品保存を求める署名」へのリンクを紹介しておきます。
ITメディアのこの記事は、twitterで、idedanob(池田信夫氏)のつぶやきで知りました。

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2009年9月2日水曜日

象の童謡、DNA検査で動揺も替え歌が救う

動揺「ぞうさん」は、日本で生まれ育った人なら誰でも歌える曲の一つとして数えられるだろう。
作詞はまどみちお、11月で100歳におなりになります(作曲は団伊玖磨。)。
どこで読んだか忘れましたが、まどみちおは、どのゾウからインスピレーションを得て作詞したか、どんなにしつこく聞かれても答えなかったとか。
(実家で読んだ童謡についての文庫本・・・まど研究をしている親戚がいるので、親から勧められて読んだ箇所。)
歌う人、聞く人は、どのゾウを思い浮かべてもいいんです。

さて、作詩者の出身地としてゆかりのある山口県周南市の周南市徳山動物園で飼育されている象についてのニュースです。
「国内唯一」マルミミゾウ、実はサバンナゾウだった(2009年9月2日 読売新聞)
「マルミミゾウ」でなくても、実際に耳が丸い小ぶりの象さんとして親しまれてきたのなら、詩碑については問題ないのではないでしょうか。

じつは、童謡「ぞうさん」には、まどみちお自身による替え歌があります。
今年始めて知ったのですが、タイトルを「とうさん−「ぞうさん」かえうた」といいます。
オリジナルの「ぞうさん」には、母子の象が歌われていますが、父親像は登場しません。
不在だった父親がついに歌われるのです。
歌詞を転載・・・するわけにも行かないので、Amazon.co.jp・CD販売サイトの試聴機能で歌詞を確認して下さい(作曲は宮川彬良)。




どうですか?
始めて聞いた時、脱力してしまいました。
「こんなものでいいのか!」
しかし、よく考えてみると、とうさんが好きな相手が他のひとでなくて、こどもは安心するのではないだろうか。
ここまで考えて、ここで歌われている「とうさん」は、何の動物かは、作中では明示されていないことに気づく。
べつに「象」でなくてもいい。
自分の父親のことでもいいし、もちろん「ぞうさん」一家の父親象をイメージしてもいい。

徳山動物園のマリちゃんは、マルミミゾウでなくでもいいじゃないか。
マリちゃんはマリちゃんであることに価値がある。
マルミミゾウであることよりも、マルミミゾウそっくりのサバンナゾウであるほうが、むしろ個性的?

(文中敬称略)
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2009年8月11日火曜日

『審理』はだれのものか

最高裁判所が作成した裁判員制度PR映画『審理』の行方が気になる。
(覚醒剤取締法違反で逮捕された酒井法子が出演していることで一時的に話題になっている映画である。)
発行元である最高裁は貸出やネット配信を停止しているが、すでに配布した分はどうなるのか。
各地の裁判所に対しては、最高裁から公開停止の要請を受けているようだ。

その他、図書館や学校などに寄贈されたとされているが、気になるのはその資料の行方だ。
話題性が一時的に上がり、新たな入手が困難になったという点では、資料保護のためになんらかの盗難防止策がとられることは仕方がないだろう。
だからといって、完全に閲覧・観覧を停止・禁止することには反対したい。

類似事例として、日本図書館協会が2003年3月6日に国立国会図書館宛に出した要望を見つけた。
柳美里著「石に泳ぐ魚」(『新潮』1994年9月号所収)の利用禁止措置の見直しについて(要望) 2003年3月6日

国立国会図書館が当該図書を完全に閲覧禁止にしたことに対して、日本図書館協会は次のように抗議している。
閲覧禁止の理由として、貴館は最高裁判所判決がこの「石に泳ぐ魚」の頒布差し止めを命じたものとされておられますが、この判決は裁判の被告である著者と出 版者に出版等の公表を差し止めたもので、国民が当該作品を読むことを禁じたわけではありません。また原告も図書館に対して、閲覧禁止を求めたものでもありません。
判決による頒布差し止めもなく、発行元からの要請もない『審理』を各地の図書館がどのように扱うか、注目したい。

横道にそれるが、iTunes等の音楽配信サイトでは酒井法子の楽曲が配信停止となり、それに対して
  • 容疑者の資金源となる音楽配信は停止すべきだ
  • 楽曲はアーティストからすでに独立しているから配信停止すべきでない
などの意見があるようだ。

国立国会図書館に引っかけて締めくくろう。
『審理』を我らは自由にする
・・・ことができるだろうか。
国会図書館の元ネタはこちら

(文中敬称略)
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2009年8月7日金曜日

酒井法子容疑者報道における「こじつけ」

NHKのニュースで、酒井法子容疑者報道における「こじつけ」がちょっとひどい。
(リンク先はWikipediaの記事です。
Wikipediaの特性を考慮した上で参照して下さい。)

引用1
最高裁判所の広報映画『審理』(2009年)
裁判員に選ばれた主婦役の台詞
裁判員に選ばれると、自分自身の人生(生き方)が問われていると感じる、だから、責任を持って生活をしていかないと思う
(内容はうる覚えです。)

引用2
1995(平成7
年の紅白歌合戦『碧いうさぎ』の歌詞
今の
今の二人を救えるのは 真実だけだから
(これもうる覚え。)
作詞は牧穂エミ

この二つをもって
「かつて作品中で容疑者はこんなことを言っていた/歌っていた」
というのは、まったくもってこじつけでしょう。
脚本家・作詞家に対しても失礼です。
こういった事件をおもしろがっていると思われかねない構成には賛成できません。

念のため付け加えておきますが、だからといって酒井法子容疑者を擁護するつもりもありません。
現時点では糾弾するつもりもありませんが。

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2009年8月6日木曜日

Twitter 始めました

前期の間は全く更新しなかった・・・。
簡単な近況報告はTwitterの方が手軽でいいかも。
右側に最新の5件を表示するようにしています。

フォローする対象は今のところ勝間和代さんと津田大介さんがメイン。
広瀬香美さんはつぶやき量が多すぎるので、フォローをやめました。
実名で公開チャットしているみたいで、おもしろいこともあるんだけど、マスプロ化したつぶやきには関わり方が正直よくわからない。

Twitterについては持ち上げる人とけなす人がいます。
日常で役に立つ、という実感を得られることはあまりなさそうなので、「つまらなかった」という感想はもっともです。
双方向的に活用できれば、e-mailやホームページ公開、ブログやSNSの黎明期のような、ネットを通じての人間関係の構築・維持に魅力を感じることでしょう。
有名人のようにマスプロ化したTwitterは、フォロワーからあれこれ情報を提供してもらえる(おねだりできる)「えさ場」として、とても有用なんでしょうね。

フォローすることでプロモーションしたり、フィッシングしたりすることがどんなユーザーにも起こっていることが、始めてみてわかりました。
それがわかったことは成果ですね。

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2009年3月4日水曜日

むすんでひらいて(2)

家人が見ているテレビをついうっかり見てしまう。
日本テレビの日本史サスペンス劇場「夏目漱石とその妻」2009年2月11日当日出演者)もそういう番組のひとつだった。
この回は夏目漱石と妻・鏡子の関係にスポットを当て、鏡子は悪妻として漱石の頭痛の種だったという通説を覆すエピソードを紹介している。
Wikipedia「夏目鏡子

問題は漱石がイギリス留学から帰り、『吾輩は猫である』を書き上げる間の出来事として、イメージ映像としてドラマ化された箇所だった。

気むずかし屋として、家庭内で孤立しようとしていた漱石。
精神の危機にある漱石を鏡子は支え、子どもたちも、そんな鏡子の努力の甲斐もあって、快活に成長する(・・・というような筋立てだったかな?正直、ここまではぼんやり見ていたので、間違っていたらご容赦を・・・)。

そこで、庭先で楽しそうに遊ぶ漱石の子どもたちが興じていたのが
「むすんでひらいて」

その瞬間に、玄侑宗久氏の講演を思い出さないわけがない!
明治時代に「むすんでひらいて」?
歴史番組でありながら、時代考証の細部にエラーか?
漱石がイギリス留学から帰国したのが、明治36年(1903年)。
『吾輩は猫である』の執筆は翌明治37年(1904年)の末。

戦後、文部省唱歌として広まったとされているこの歌だが、はたして、この時期に「むすんでひらいて」は、子どものお遊戯として存在していたのだろうか?

あり得ない?
・・・もうちょっと考えてみたいと思います。

続く。




その他の漱石の伝記・人物評伝へ(Amazon.co.jp)

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2009年2月21日土曜日

むすんでひらいて(1)

童謡「むすんでひらいて」が、今気になっている。

きっかけは、作家玄侑宗久氏の「ちょっとイイ人生の作り方」と題された
講演会だった。
メモを取っていたわけではないので、私なりに受け取ったメッセージをまとめてみた。
現代社会では、「むすんでひらいて」の精神を取り戻す時に来ている。
「むすぶ」とは、何かを決めること、守ることであり、昨今ではこれが行き過ぎて、かたくなという様相を見せている。
「ひらく」とは、結んだ事柄を解き放つことであり、「ひらく」ことによって、他者など、「むすび」の外側との回路を開き、決まり事、約束事、今守っている様々な物事を見つめ直すことである。
もちろん、ひらきっぱなしではまとまりがつかないが、むすぶことに汲々とすることはやめ、ときにはひらいたほうがよい。
童謡では、手を拍ってまたむすぶ。
むすんでひらくことをくりかえすことで、私たちの暮らしは豊かで余裕のあるものになるのではないだろうか。
氏は、仏の語源が「ほどける」とする説を紹介したり、日本文化が「ひらいて」型である証左として神仏習合をあげたりと、僧侶ならではの講演であった。

この講演から連想したイメージは、握手。
握った拳を向けあっての解決は、一方的な屈服でしかない。
いちど拳をひらき、相手の手を「結ぶ」ことで、新たな関係を築くことができる。

講演のメッセージ自体は示唆に富み、聞きに行ってよかった、というのが素直な感想だ。
プレゼンテーションの技法としても、
  1. 童謡「むすんでひらいて」を、会場の全員と歌ってて遊びするところからはじめた。
  2. 作曲家は誰か、と問うて、アタマにもウォーミングアップさせた。(答え:ジャン・ジャック・ルソー)
  3. 脱線しても童謡「むすんでひらいて」にかならずもどってくる。
など、よい実例を見る機会だった。

しかし、この講演は「むすんでひらいて」への疑問の始まりに過ぎなかった。
その後調べたところ、気になる点があった。
それは、講演の核心部分ではなく、導入部にある。

氏は講演冒頭で、この童謡をこのように紹介した。
ルソーの作曲ののち、我が国では賛美歌、唱歌、軍歌などさまざまな歌詞がつけられたが、第二次世界大戦の敗戦後に、文部省唱歌として現在の「むすんでひらいて」が登場した。
作詞者は不詳だが、この歌詞に込められたメッセージには驚嘆させられる。
そして、上記のように、講演は続いたのであった。
つまり、むすぶ時代からひらく時代へと転換させよう、というメッセージが歌詞に込められている、ということである。

残念ながら、事実は宗久氏の考えとは異なるようだ。
(つづく)

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