きっかけは、作家玄侑宗久氏の「ちょっとイイ人生の作り方」と題された
講演会だった。
メモを取っていたわけではないので、私なりに受け取ったメッセージをまとめてみた。
現代社会では、「むすんでひらいて」の精神を取り戻す時に来ている。氏は、仏の語源が「ほどける」とする説を紹介したり、日本文化が「ひらいて」型である証左として神仏習合をあげたりと、僧侶ならではの講演であった。
「むすぶ」とは、何かを決めること、守ることであり、昨今ではこれが行き過ぎて、かたくなという様相を見せている。
「ひらく」とは、結んだ事柄を解き放つことであり、「ひらく」ことによって、他者など、「むすび」の外側との回路を開き、決まり事、約束事、今守っている様々な物事を見つめ直すことである。
もちろん、ひらきっぱなしではまとまりがつかないが、むすぶことに汲々とすることはやめ、ときにはひらいたほうがよい。
童謡では、手を拍ってまたむすぶ。
むすんでひらくことをくりかえすことで、私たちの暮らしは豊かで余裕のあるものになるのではないだろうか。
この講演から連想したイメージは、握手。
握った拳を向けあっての解決は、一方的な屈服でしかない。
いちど拳をひらき、相手の手を「結ぶ」ことで、新たな関係を築くことができる。
講演のメッセージ自体は示唆に富み、聞きに行ってよかった、というのが素直な感想だ。
プレゼンテーションの技法としても、
- 童謡「むすんでひらいて」を、会場の全員と歌ってて遊びするところからはじめた。
- 作曲家は誰か、と問うて、アタマにもウォーミングアップさせた。(答え:ジャン・ジャック・ルソー)
- 脱線しても童謡「むすんでひらいて」にかならずもどってくる。
しかし、この講演は「むすんでひらいて」への疑問の始まりに過ぎなかった。
その後調べたところ、気になる点があった。
それは、講演の核心部分ではなく、導入部にある。
氏は講演冒頭で、この童謡をこのように紹介した。
ルソーの作曲ののち、我が国では賛美歌、唱歌、軍歌などさまざまな歌詞がつけられたが、第二次世界大戦の敗戦後に、文部省唱歌として現在の「むすんでひらいて」が登場した。つまり、むすぶ時代からひらく時代へと転換させよう、というメッセージが歌詞に込められている、ということである。
作詞者は不詳だが、この歌詞に込められたメッセージには驚嘆させられる。
そして、上記のように、講演は続いたのであった。
残念ながら、事実は宗久氏の考えとは異なるようだ。
(つづく)
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