2008年10月29日水曜日

シラーの名言「3つの時間」と現在完了

本日(2008年10月29日)、朝日新聞のコラムの最後に、ドイツの詩人・劇作家のフリードリヒ・シラーの名言が引用された。
天声人語2008/10/29(一週間閲覧可能です)

不格好だが、あえて原文の語順に近づけて直訳してみた。

三層になっている。時間の歩みは。
ためらいながら来るのは未来。引き寄せられて。
矢のごとき早さで現在は飛び去る。
永久に揺るぎなく立っている、過去。
(「孔子の言葉」)

"Dreifach ist der Schritt der Zeit:
Zögernd kommt die Zukunft hergezogen,
Pfeilschnell ist das Jetzt entflogen,
Ewig still steht die Vergangenheit."
- Sprüche des Konfuzius

さて、ここで気になったのが、「現在 das Jetzt」の行で使われている時制だ。
entfliegen の現在完了 ist ... entflogen となっている。
ドイツ語の現在完了は、過去時制と同じように使う(特に会話で)。
だから、
「現在は矢のように過ぎ去った」
と、過去の出来事として解釈すべき・・・?
「現在」なのにもう過ぎ去ってしまったの?

この疑問に答えてくれるのが、
 「未来的現在完了時制」。
未来の時点で完了している事柄を表現する。

「動作時点が観察時点の前に、観察時点が発話時点の後に、動作時点が発話時点の後にある」
(ヘルビヒ/ブッシャ『現代ドイツ文法』、三修社。手元にあるのは1993年の第5版、160ページ)
たとえば
明日の今頃は、ぼくは汽車の中
のような文章で使うのにぴったりだ。
汽車の中にいる自分を観察する(はずの)自分から見て、汽車に乗りこんだ時点はそれよりも(相対的に)過去。
しかし、この発言をしている時点では、観察者(になるはず)の自分も、汽車に乗っている(はずの)自分も、どちらも未来。
というわけで、反射的に思い浮かべたドイツ語訳がこれ。
In dieser Zeit des Morgens bin ich im Zug gewesen.

さて、シラーに戻そう。
過ぎ去る「現在」という瞬間は、「現在」である限り、絶え間なく「今」である。
「現在」に対し、思いをはせた時点で、その瞬間はすでに「過去」となっている。
現在形ではなく、現在完了による表現によって、止まることのない現在という、時間の不思議なありさまを、今回あらためて思い浮かべさせられた。

過去は立っているのだが、これは動詞 stehen の現在形。
「立っている」のは継続的な動作なので、立ち上がってから、ずうっと今まで立っているわけだ。
今まで・・・?と書いているこの時点は、はたして現在なのか、過去なのか・・・。

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2008年10月14日火曜日

イルカ漁の報道2008?

クジラとイルカの町として、ある意味国際的に有名な和歌山県太地町。
それは、この町がこういったほ乳類の漁をするからです。

GoogleNewsドイツ語版で、Japanと検索すると、この太地町でイルカ(海豚)の漁が始まった、という報道が引っかかってきました。
ブログ執筆時点のヒット数は
・8件(「関連度順」)
・171件(「重複を含めて日付順」)

全件に目を通したわけではありませんが、逃げ場を奪い追い込み、銛でトドメを刺す、海を地に染める残虐さを報道しているようです。
英語版のニュース検索でも、同様の記事が多くヒットします。
テレビニュースでも取り上げられていることも考えられます。

ここで、イルカ漁の是非を議論しようとは思いません。
問題にしたいのは、日本のメディアがこの出来事を報道していないことです。
「この出来事」というのは、イルカ漁のことではなく、今回のイルカ漁を海外メディアが批判的に報道している、ということです。

GoogleのNews検索、ブログ検索で
「太地 イルカ OR イルカ」
で検索しても、今年の太地のイルカ漁についてはヒットしませんでした。
もちろん、2007年などの、以前のブログはそれなりにヒットします。

欧米で暮らしてみると、
「日本人はなぜクジラを殺すのか?」
と尋ねられることがあります。
非難されることすらあります。
駅の看板に、日本の捕鯨を告発する意見広告を見たこともあります。

さて、今回いくつか拝読したブログに、
「外国でクジラやイルカの漁について聞かれたり、批判された」
というものがいくつかありました。
実際、こういう場面に立たされると、反論するか、一緒に日本批判をすることになります。
ときにはこの問題について、自分なりに考えておかなければ、相手の主張を一方的に受け入れるだけに終わってしまうのではないでしょうか?

そのためには、イルカ漁やクジラ漁の是非は脇に置いてでも、この出来事によって日本が批判の対象になっていることを、知らせるべきではないかと思います。

さて、私たちは韓国人に
「犬食べるの?」
と興味本位で聞いていないでしょうか?
どんどん聞くべきだと思います。
そして、韓国の文化や生活について、あれこれ知るようになればいいでしょう。
私たちも、ひとたび外国に出れば、興味本位で聞かれるのです。
どのように会話を返すのか。
もちろん正解はありません。
人それぞれに答えを用意するしかありませんし、相手や場面によっては、用意している答えだって多少のアレンジをすることになるでしょう。

2008年の太地のイルカ漁。
国内ではそれでもニュースとしての価値がないのでしょうか?
案外、フィルタリングや検閲だったりして。

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