2009年3月4日水曜日

むすんでひらいて(2)

家人が見ているテレビをついうっかり見てしまう。
日本テレビの日本史サスペンス劇場「夏目漱石とその妻」2009年2月11日当日出演者)もそういう番組のひとつだった。
この回は夏目漱石と妻・鏡子の関係にスポットを当て、鏡子は悪妻として漱石の頭痛の種だったという通説を覆すエピソードを紹介している。
Wikipedia「夏目鏡子

問題は漱石がイギリス留学から帰り、『吾輩は猫である』を書き上げる間の出来事として、イメージ映像としてドラマ化された箇所だった。

気むずかし屋として、家庭内で孤立しようとしていた漱石。
精神の危機にある漱石を鏡子は支え、子どもたちも、そんな鏡子の努力の甲斐もあって、快活に成長する(・・・というような筋立てだったかな?正直、ここまではぼんやり見ていたので、間違っていたらご容赦を・・・)。

そこで、庭先で楽しそうに遊ぶ漱石の子どもたちが興じていたのが
「むすんでひらいて」

その瞬間に、玄侑宗久氏の講演を思い出さないわけがない!
明治時代に「むすんでひらいて」?
歴史番組でありながら、時代考証の細部にエラーか?
漱石がイギリス留学から帰国したのが、明治36年(1903年)。
『吾輩は猫である』の執筆は翌明治37年(1904年)の末。

戦後、文部省唱歌として広まったとされているこの歌だが、はたして、この時期に「むすんでひらいて」は、子どものお遊戯として存在していたのだろうか?

あり得ない?
・・・もうちょっと考えてみたいと思います。

続く。




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